参照元アンティークジュエリー・シェルシュミディのHPもぜひご覧ください。
現在のパリの都市としての形は、このピアスが作られた第二帝政期時代(1852-70)に作られました。
革命後のフランスはまだ政治的に不安定で、政府に不満を持つパリ市民の蜂起は政権を揺るがしかねない事態にありました。 ナポレオン3世は、万が一の市民蜂起に備え(当時のパリは網の目のような路地が多く、市民はバリケードを築いて軍隊の移動を封じることが多かったのです)、セーヌ県知事のジョルジュオスマンにパリの大整備を命じます。 街路を広くし、見通しをよくする大幅なパリの都市改造のはじまりです。 具体的には、エトワール凱旋門から放射状に広い12本の大通りを作り、中世以来の複雑な路地を整理します。 このようにして交通網を整えたことで、パリ市内の物流機能が大幅に改善しました。 また、上下水道を施設し学校や病院などの公共施設などの拡充を図りました。 衛生状態が改善して、コレラの発生率がかなり低くなったそうです。 一連の都市計画により、パリの街は「世界の首都」と呼ばれるようになります。 19世紀最大のこの都市計画は、フランス国内にとどまらず各国における近代都市建設の手本とされるようになります。 元情報は第二帝政期時代のパリ改造計画 エナメルミニピアス(わすれな草) ![]() |
アンティークのお仕事をしていると「貴族、貴婦人」という言葉が黄門様の紋所のごとく、乱用されているように感じます。
アンティークジュエリーのお店の方の中にも「アンティークジュエリー=貴族がおあつらえで作らせたもの=だから良いもの」といったトークをしがちな人が多いような気がします。 しかしフランスの貴族の歴史はもっと複雑です。 1789年に発するフランス革命で多くの貴族が国外へ亡命します。 しかし「大革命によって貴族が根絶されたのか」といえばそうではなく、確かに革命によって多くの貴族が国外に逃亡したものの、ナポレオン時代以後にフランスに復帰した貴族も多くいます。 そして19世紀半ばになるとこうした貴族の多くが、地主や資本家への転進を図ります。 なので特に19世紀後期以降のジュエリーに関しては、貴族というより、貴族系家系や時の富裕層によって作られたジュエリーというほうが、より正確なのでしょう。 貴族だから、イコール趣味が良いとか良いものを作らせたというわけではありませんが、確かにフランス社会において貴族系家系は数世紀にわたり力を持ち続けています。 正確にいえば今日でもフランス各界においてその子孫達は活躍しているのです。 元情報はフランス貴族とアンティークジュエリー 18世紀ジュエリー・ダイヤモンド指輪 ![]() |
このネックレスはムラノガラスではありませんが、アンティークでガラスのことを語る上でよくでてくるのがMURANOガラスという言葉。
ムラノガラスとは、イタリアのムラノ島で作られたガラスのことです。 1271年、ヴェネツィアでは最初のガラス職人組合が結成され、1291年には技術の流出を防ぐことを目的に、ガラス工房をムラノ島に集める法令が出されました。 こうしてムラノ島では様々なガラス工芸技術が発達して、美しいガラスアクセサリーが作られるのです。 特に15世紀以降には、金箔張り・エナメル装飾技術の革新が行なわれ、ダイアモンドを使ったグラヴュール装飾技術も洗練されていきます。 更に「乳白ガラス」「レース グラス」も生み出されました。 1940年頃までにムラノ島で作られたガラスにはとても美しい作品が多く、イタリアらしい鮮やかな色彩が魅力的です。 日本ではそれほど有名ではありませんが、欧米のアンティーク市場でもとても高く評価されています。 元情報はムラノガラスとは コーンフラワー色のガラスネックレス ![]() |
現在市場に流通するアンティークジュエリーの多くは、19世紀後期以降のものです。
18世紀のジュエリーというのは、イギリスのものでもフランスのものであってもきわめて流通量が少ないもの。 どれくらい少ないかというと、現地のアンティークショップに行っても、ほとんどのお店にも一点もないのが普通です。 実際、当ショップでも18世紀のジュエリーは片手で数えられるぐらいしか扱っていません。 出てくることは稀で、いくら高いお金を払おうが払うまいが、滅多に見つけられないのが18世紀ジュエリーなのです。 18世紀といえば1700-1799年。 フランスの18世紀ジュエリーはだいたいが、かのフランス革命(1789-1799)に入る前に作られていますから、まさに250年以上前に作られた歴史的遺産なのです。 元情報は18世紀ジュエリーの骨董価値 18世紀ダイヤ、真珠ピアス ![]() |
パリ左岸、サンジェルマン界隈にあるパリのデパート、ボンマルシェ。
パリはとかくデパートよりもちっちゃな個人店が面白い町ではありますが、ボンマルシェだけはやはり格別。 ボンマルシェは 1852年創業の世界最古のデパートなのです。 お洋服やバッグなども充実しているボンマルシェですが、特にお薦めなのは文房具売り場と、食品館です。 特に食品館はパリ一の品揃え。 チョコレート、紅茶、ジャムなどは、もう選びきれないほどの種類の多さ。 文房具売り場では、画材なども日本に比べてずっと可愛いものが打っていますし、普段使うのりやペンなどもパッケージが可愛いばかりか、日本にはない色なども見つかったりして、とても楽しい時間が過ごせると思います! 元情報はボンマルシェ(Bon Marche)の薦め ダイヤ、アクアマリン指輪 ![]() |
オパールは宝石の中では、かなりデリケートな宝石に属します。
もちろん宝石なので日常の普通の使用には問題ないですが、熱や乾燥に弱いという点を忘れずにいてください。 例えばお風呂や料理中は火などに触れたり近づく危険がありますので、外したほうがよいです。 あとこれはアンティークジュエリー全体にいえることですが、超音波清浄器のご使用はお避けください。 あとオパールはモーリス硬度6程度です。 保管時や移動のときは、ジュエリーケース内などでオパールよりずっと硬度の高い、例えばダイヤモンドなどの宝石とぶつからないようにしてあげてください。 ただ以上の点ぐらい気をつけていただければ、後はそれほど神経質になることはありません。 オパールは確かに硬度はあまりありませんが、特に割れやすい石ではありません。 よく乾燥に弱いオパールは時々水につけたほうがよい、などという説もありませんが、それもそんな必要はありません。 元情報はオパールのお手入れ方法 アンティークオパールの指輪 ![]() |
フランスでは近年、結婚を介しない同棲が増えているので、状況は変わりつつありますが。
元来フランスには結婚祝いに「リストドマリアージュ(Liste de Mariage)」というシステムが活躍していました。 これは新郎新婦がこれから結婚生活を始めるにあたって必要な食器や道具、リネン類をリストアップ。 リストドマリアージュのサービスを提供しているお店をひとつきめます。 祝う側はその指定された店に出向き、リストを見せてもらいながら、自分たちの予算に応じてそのリストの中から1つずつプレゼントをするものを選ぶという仕組みです。 新郎新婦は好みでない贈り物をもらう心配はなくなり、贈る側も喜ばれない贈り物をする可能性がなくなるのと、予算に応じてリストから選べるという利点があります。 もちろんプレゼントに選ぶものは2人で使う実用品であって、結婚指輪などはこうしたリストには含まれません。 元情報はリスト・ド・マリアージュ 縦長ダイヤモンドリング ![]() |
パリのヴィンテージ界を語る上で欠かせないのが、ディディエリュド(Didier Ludot)。
ディディエ・リュドは、「パリのヴィンテージの王様」と言われています。 取り扱いは主にヴィンテージの洋服。 1920年代から現在までのフレンチヴィンテージクチュールで、ディディエリュドは最高レベルのものを揃えています。 ディディエ・リュドという本人の名前を冠したパレロワイヤルの店舗には、それこそファッション史に残るようなオートクチュールのミュージアムピースがずらりと並んでいます。 もちろん値段も超一流。 ディディエリュドの店には、世界中のヴィンテージファンがやってきます。 とりわけアメリカ人から絶大な人気を得ていたディディエは一時、北米に進出します。 しかしそれはうまくいかず・・・。 現在では、パレロワイヤルの中に2店舗を構えています。 片方の「La Petite Robe Noire」にはディディエリュドが手がけるオリジナルのブラックドレスが揃っています。 元情報はディディエリュド(Didier Ludot) Yves Saint Laurentバングルブレスレット ![]() |
翡翠(ひすい)は、深緑の半透明な宝石。
東洋は中南米で古くから人気があり金以上に珍重され、古くは玉(ぎょく)と呼ばれていました。 翡翠は、不老不死および生命の再生をもたらす力を持つと信じられており、古代においては遺体全体を玉で覆うことが行われました。 かの秦の始皇帝の遺体も玉で覆われていたとされています。 鉱物学的には「翡翠」は化学組成の違いから「硬玉(ヒスイ輝石)」と「軟玉(ネフライト)」に分類されます。 中国で現在安く売られている翡翠はほとんどが軟玉ですが、軟玉は中国以外では宝石とされず、西洋のアンティークジュエリーに使われているのも硬玉です。 元情報は翡翠(ヒスイ) 翡翠(ヒスイ)ペンダントトップ ![]() |
西欧では、指輪はともかくダイヤモンドなどの宝石のついたネックレスやブレス、ブローチ、ピアスなどは、朝はしないというのが原則です。
しかし例外なのが貴金属、つまりゴールドやプラチナ、銀だけで作られたジュエリー。 こうしたゴールドだけでできたネックレスは、豪華ではありますが朝などの平常時にしてもおかしくないジュエリーです。 金がたっぷり使われているので豪華な席でしか使えないのではと思いがちかもしれませんが、こうしたゴールドだけでできたジュエリーは、午前中の行事やまた目上の方などさまざまな配慮が必要な方と会うときにも、問題なく使っていただけるジュエリーです。 愛らしい清楚な花のモチーフですので、若い女性がされても、嫌味なくつけていただけます。 元情報は特別なゴールドジュエリー 重量感のあるアールヌーボーネックレス ![]() |
貧しい出身から、若くしてファッション界で大成功したココシャネル。
シャネルの才能は、その才能を早く見抜き支援をした一部のフランスの上流階級によって開花し、そして成功後のシャネル自身も、若い人の才能を見出す人でした。 まずは帽子と洋服で成功を収めたシャネルがコスチュームジュエリー(ビジューファンタジー)をビジネスとして展開しはじめるのは、1934年のこと。 このシャネルのコスチュームジュエリーの成功を導いたのが、時の貴族で宝飾に非常に詳しかったエチエンヌ・ド・ボーモン伯爵やフルコ・ディ・ヴェルドゥーラ公爵。 またシチリア系貴族のヴェルドゥーラ公爵は、マルタ十字リリーフなどいくつかのデザインモチーフをシャネルに提供しています。 19世紀であれば、貧しい出身のシャネルがこうした上流階級と交わることは不可能に近かったはずですが、20世紀初頭のパリは新しい時代の息吹に沸いていました。 旧貴族階級が、若くて才能のあるアーティストを支援する傾向もあり、若い芸術家にとっては恵まれた時代といえるでしょう。 元情報はココシャネルを支えた貴族 シャネル・ヴィンテージバングルブレス ![]() |
アゲートとはメノウのことです。
メノウは日本でも古くから宝飾品に使われてきましたが、ドイツ、ブラジル、チェコのボヘミア地方などのもアゲートの産地として知られています。 ヨーロッパのアンティークジュエリーにおいても愛用されてきた石で、西洋のアンティークジュエリーに関して言及するときは、メノウというよりアゲートと呼ぶことのほうが多いかと思います。 もちろんその中身は一緒で、縞状の玉髄のこと。 日本語の瑪瑙という名前は、石の概観が馬の脳に似ていることからつけられたそうです。 一方英語のAgate(フランス語でもAgate)は、イタリアのシチリア島の同名の川でこの石がとられていたことに由来するそうです。 元情報はアゲート(agete)と瑪瑙(メノウ) アゲート(めのう)、バングルブレスレット ![]() |
マハラジャ(Maharaja)とは近代国家となる以前ムガール帝国治下の、インドでの地方領主のこと、意味としては、ラージャの中で特に強力な「大王」の意味になります。
近年文化的側面から、台頭するインドという国がクローズアップされ、ヨーロッパではここ数年インド文化ブーム、インドにインスピレーションを受けたものが流行するようになりました。 そんな中、アンティークジュエリーの専門家がひそかに注目しているのが、19世紀までにインドのマハラジャのために作られた宝飾品です。 マハラジャのジュエリー(こうしたインドのアンティークジュエリーは「マハラジャジュエリー」と呼ばれることが多いです)の魅力は何より、大粒で品質の高い宝石。 ルビーやエメラルド、ダイヤなどが西欧のアンティークジュエリーにないほど大きく、そしてカボションカットされていることが多いです。 マハラジャジュエリーの研究はようやく始まったばかりです。 こうしたインドのアンティークジュエリーは資料さえまとまったものがなかなか見つかりません。 インドの場合家族で宝石を受け継いでいくことがヨーロッパ以上に多いため、流通する数は少ないです。 こうしたマハラジャのアンティークジュエリーは、今後ますます高い価値が認められていくでしょう。 元情報はハプスブルク家 19世紀マハラジャ、ルビーペンダント ![]() |
ハプスブルク家は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系です。
古代のユリウス一門(カエサル家)の末裔を称し、中世の血縁制度を利用した政略結婚(ルイ16世の妃マリー・アントワネットもハプスブルク家の出身)により広大な領土を獲得、南ドイツを代表する大貴族に成長します。 中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇り、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(後のオーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝を代々出しました。 後半は形骸化していたとはいえ、ほぼドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)皇帝を中世以来つとめます。 神聖ローマ帝国解体後もオーストリアがドイツ連邦議長を独占したため、ビスマルクによる統一ドイツ帝国から除外されるまで形式的には全ドイツ人の君主でした。 元情報はハプスブルク家 ロケットペンダント(ターコイズ、パール、エナメル) ![]() |
1925年にマルセルロシャスによってパリに設立されたブランド。
パリモード界の御三家と呼ばれています。 マルセルロシャスは、20世紀ファッションの多くを予言し、ディオールのニュールックのさきがけを作ったデザイナーとして知られています。 マルセルロシャス自身は1955年に53歳の若さで死去してしまいますが、その後はロシャスの妻が会社を引き継ぎ、ロシャス社からは優秀なデザイナーが生まれていきます。 代表的なロシャスのデザイナーに、ピーター・オブライアンやオリヴィエ・ティスケンス等。 オリヴィエティスケンスの顧客には、ニコールキッドマンやマドンナ、ジェニファー・アニストンなどがいることでも知られています。 元情報はロシャス(Rochas) Rochas(ロシャス)ネックレス ![]() |
オートクチュールの世界でよく言われるのが、「シャネルは女性に自由を与えた、サンローランは女性に力を与えた」という言葉です。
実際サンローランより人世代に生きたシャネルはサンローランを自らの後継者と公式に発言していました。 これはどういうことかというと、二人とも男性服を女性服に転換することで、女性に力を与えた、ということで共通するものがあるのです。 サンローランのオートクチュール界の功績は大きく、サンローランが2002年に引退したとき、オートクチュールの幕が閉じたと言われているほどです。 元情報はシャネルとサンローラン サイヴサンローラン・ヴィンテージピアス ![]() |
イヴサンローランの後に続くリヴゴーシュはもちろんRive Gauche、パリの左岸を指しています。
サンローランは、左岸のサンジェルマンディプレでメゾンをスタートさせます。 しかし、これはそれまでのパリのモードの人たちにとって驚きでした。 サンローラン以前のオートクチュールメゾンは、それまでは彼らたちの顧客である金持ち階級、ブルジョワ階層が通い易い界隈であるシャンゼリーゼ大通り近辺にしていたのです。 サンローランは当時、若者たちが集まり、実存主義が論じられ、モダンジャズが聞こえ、POPアートを取り扱い始めたギャラリーが増え、知的であり芸術的でアヴァンギャルドなエリアとなりつつあったサンジェルマンを、自らの血としたのです。 イヴサンローラン自身、自ら左岸に住み(彼がピエールベルジェとともに所有し住んでいたアパルトマンも両方左岸にありました)、左岸を愛し、左岸を代表するデザイナーでありつづけました。 元情報はイヴサンローラン・リヴゴーシュ イヴサンローラン・ヴィンテージぺンダント ![]() |
ココシャネルのジュエリーは、本物の宝石を使わない、あるいは部分的にしか使わない斬新なもので、当時大変センセーショナルでした。
例えばダイヤモンドを中心とする本物の宝石にフェイクのガラスや模造真珠をミックスしたりすることは、当時のフランスの伝統的なジュエリー製作において、反逆的でさえありました。 またスタイルに関しても、昔のゴールドジュエリーの製作に使われたフィリグリーの技術をゴールドメタルに応用したり、初期の頃にはビザンチンスタイルを多分に取り入れたり。 良いと思ったものは、素材の本物偽物を問わず、そして時代にもこだわらず取り入れたのが、シャネルです。 まだまだ階級社会の残る20世紀初頭のパリでわずか、20代で孤児から成功したシャネル。 そうした反骨の精神、好奇心の溢れたパイオニア精神も、当時のヨーロッパやアメリカの革新的な女性たちに圧倒的な支持を得た理由でしょう。 元情報はシャネルのコスチュームジュエリー シャネル(Chanel)Vintageネックレス ![]() |
「ローテク」と清潔でモダンなホテルが好きな人には、評判の悪かったパリのホテル。
それでも近年は、多くのチェーンホテルがパリの市内に目立つようになってきました。 大手チェーンなのでいわゆる「パリのプチホテル」に泊まりたい方には味気ないかもしれませんが、失敗したくないときにお薦めなのはアコー(Accor)グループのホテル。 ソフィテル、ノボテル、メルキュール、IBISはどれもこのアコーホテルズのチェーンです。 個々のホテルによって違いますが、ソフィテルとノボテルが4つ星、メルキュールが3つ星、IBISが2つ星になります。 元情報はフランスでアメリカンタイプのホテル 真珠、ガーネットネックレス ![]() |
1970年代のファッションは、ファッションの多様化が進んだ時代です。
デザイナーたちはそのインスピレーションをチャイナナルック、モロッコルック、インディアンルックなどの民族服等から得ます。 そうした「エスニック調」が隆盛する中、正統派のフランスシックも活躍し続けた時代です。 シャネルやジバンシィ、ランバンなど正統派のシックな洋服やジュエリーも支持されつづけます。 また70年代は、日本のデザイナーが世界のファッション界に進出したときです。 ケンゾーやイッセイミヤケはパリのファッション界で大成功を収めます。 また70年代のそのほかの特徴としては、スカートの丈がミニからマイクロミニ、調ロングと年毎にころころと変わったこと。 パンタロンスーツなどフェミニンなパンツスタイルが支持されるよにうになったことがあげられます。 ジュエリーに関しては、オートクチュールブランドが既存のルールに縛られず、そのメゾンの洋服にあわせた雰囲気のコスチュームジュエリーの製作に力を注ぎました。 元情報は1970年代ファッションの特徴 ランバンVintage、ネックレスブレスセット ![]() |
イブサンローランは、美術コレクターとしても有名でした。
2008年6月1日死去したサンローラン。 イブサンローランは長きにわたるパートナーであったピエール・ベルジェとともに、膨大な美術品をコレクションしていました。 そしてイブサンローランの死後の2009年2月、ベルジェの決意で、そのコレクションのすべてがクリスティーズ開催のオークションで競売にかけらました。 。収集品は700点以上に及び、イブサンローランとベルジェが長年にわたり、彼らが所有するパリ左岸の2つのアパルトマンに集めてきたものには以下のような美術品が含まれました。 ピカソ、マティス、セザンヌ、ブランクーシの近代美術、アールデコ、ルネッサンスの時代の彫刻、古代のコイン、アジア美術、フランツ・ハルスなどのアンティーク絵画等々。 落札価格は総計465億円にも上り、アンティーク業界で「世紀のオークション」と話題になりました。 元情報は水兵がモードを生む YvesSaintLaurent1980年代イヤリング ![]() |
2009年6月、フランスの海洋博物館では「水兵がモードを生む」というモード展が開催されました。
マリンルックとは、水兵服をベースにしたファッションスタイルのこと。 もちろん発祥の地はフランスで、その歴史は18世紀後半にまで遡ります。 しかし本格的にモード界に水兵さんの格好を取り入れたのは、もちろんココ・シャネル。 シャネルは、丈夫で着心地の良い水兵服に目をつけ、それまで女性の服に使用されることのなかったジャージー素材を取り入れ、窮屈な服から女性たちを解放します。 これが20世紀前半のこと。 そしてその継承者が、イブサンローランです。 1960年以来、イヴ・サン=ローランのファッションショーでマリンファッションが目立ち始めます。 元情報は水兵がモードを生む イヴサンローランVintageマリンブローチ ![]() |
本名はガブリエル・シャネル。
1883年二フランスノオーベルニュ地方に生まれます。 貧しい生まれで孤児院や修道院で育ちます。 10歳代でお針子となり、田舎町のキャバレーで歌手を目指して歌を歌っていたシャネル。 その頃歌っていた「Qui qu'a vu Coco(誰かココを見なかった?)」という歌のタイトルがCocoという愛称の由来のようです。 シャネルは現在でいうところの女性ベンチャー起業家。 20代でパリにお店を持ちます。 最初は帽子店でしたが、瞬く間に婦人服、ジュエリーを手がけるようになり、一躍モード界の頂点に上り詰めます。 常に時代の先端を読み、30代にはパリ以外のリゾート地へ進出して、ベンチャー企業家として数百人の従業員を抱え、モード界につぎつぎと新風を巻き起こします。 第二次世界大戦中はパリを離れて、1944年になんと70歳でカムバックを果たします。 最期のとき(1971年に88歳で死去)まで前線で働きつづけた稀代のデザイナーです。 元情報はココシャネル(Coco Chanel) シャネル・ヴィンテージチャームブレスレット ![]() |
言わずと知れたフランス、いや世界を代表する皮革製品ブランド。
その歴史は、1837年にティエリ・エルメスがパリに開いた馬具工房に遡ります。 当時からナポレオン3世やロシア皇帝などの、トップ権力者を顧客に持っていました。 より幅広い製品を手がけるようになったのは、ティエリの孫にあたる3代目エミール=モーリス・エルメスの時代。 1892年には、馬具製作の技術を基にエルメス最初のバッグ、サック・オータクロア(オータクロア)を製作。 1927年に腕時計、さらに服飾品・装身具・香水などの分野にその活動を広げます。 元情報はエルメス(Hermes) エルメス香水びんペンダント ![]() |
アンティークやヴィンテージのコスチュームジュエリーの素材として重宝された変色ガラス。
変色ガラスにも様ざまな種類があります。 代表的なものに、このピアスに使われている見る角度によって色が変化する「サフィレット(サフィリーン)」、闇に光る「ウランガラス」、オパールの輝きを似せて作った「オパレッセンスのガラス」など。 サフィレットは砒素を、ウランガラスはウランを混ぜて作るので危険があり、また各工房でそのレシピは門外不出であったこれらの変色ガラスは、そのほとんどは現在では製造されていない貴重なものです。 元情報は様ざまな変色ガラス サフィレットのシルバーピアス ![]() |
トパーズは、透明、黄、赤、紫、白など産地によって様々な色をしています。
その中でインペリアルトパーズとは、黄褐色から橙褐色の彩りのトパーズのことを指します。 クラックが少ない透明な結晶が採れることが少ないため重宝されていて、トパーズの中で一番価値のある色です。 トパーズは光によって変色しますが、インペリアルトパーズは長い時間光をあてても色が変わらないことが知られています。 トパーズには水酸基(OH)とフッ素(F)が含まれていて、普通のトパーズ(Fタイプ)はフッ素の方が水酸基よりも多いですが、インペリアルトパーズ(OHタイプ)では水酸基の方が多くなっています。 この差異が結晶構造の違いを生み、変色を抑えていると考えられます。 現在採掘される大半のトパーズが、Fタイプです。 元情報はインペリアルトパーズについて インペリアルトパーズ指輪 ![]() |
ダイヤモンドの中には蛍光性のあるものもあります。
ダイヤが紫外線を浴びてどういう反応を示すかということで、ダイヤモンドの中には青い蛍光性を示すものがあるのです。 特に蛍光性のあるなしか価格と連動しているわけではありませんが、 このダイヤの蛍光性、地域によって受け止め方は様ざまです。 例えばアメリカや日本はその珍重性から好みます。 しかし西欧では嫌がられることが多いです。 ちなみにこのダイヤモンドピアスのダイヤモンドに蛍光性はありませんし、アンティークのダイヤモンドの場合、蛍光性のあるものはあまり見かけません。 元情報はダイヤモンドの蛍光性 ローズカットダイヤダイヤモンドのピアス ![]() |
フランスのアンティークジュエリーで、ギリシャの影響が見られるジュエリーは、主に1850-70年頃のものです。
フランス文化は、ナポレオンのエジプト遠征時代によって、古代ギリシャやローマから多大な影響を受けます。 当時エギゾティックなアーカンサスの葉やパルメット模様、ギリシャの壺、凱旋門や鷲、月桂樹、ローマの文様などが好んでフランスのジュエリーに取り入れられました。 元情報はギリシャ模様 ダイヤ、トルコ石指輪 ![]() |
日本でも最近は格差社会の到来といわれていますが、フランスはずっと前から格差社会。
というより、階級社会がいまだ残った社会です。 そして上流階級の生活スタイルを表す言葉に「BCBG(Bon Chic Bon Genre」があります。 「シックで趣味の良いファッションやスタイル」といった意味の言葉です。 例えばファッションでいうと、「スカートにタイツ、そしてヒールのある靴にスカーフ」といったまさにフレンチマダムの王道をいくコンサーヴァティブなスタイルがBCBG流。 成金とは違う、華美すぎず、地味すぎないフランスのエレガンスを、ファッションやライフスタイルにおいて表す言葉です。 元情報はフランスの上流階級BCBG シンプルな18金ピアス ![]() |
若き日のギ・ラロッシュは、1950年代にディオールのメゾンでクチュリエとして働いていました。
当時、クリスチャンディオールには、イヴサンローラン、ピエールカルダンもおり、この才能あふれる三人のクチュリエたちは、ディオールの「若き3プリンス」と呼ばれていました。 ギラロッシュが1921年生まれ、1989年死去。 イヴサンローランが1936年生まれで、2008年死去。 ピエールカルダンが1922年生まれ。 同時代に生きた気鋭のデザイナーたちです。 元情報はディオールの3プリンス ラロッシュ・ヴィンテージブレス ![]() |
































